(聞き手)
震災前後の、地区の行事について教えて頂けますか。
(庄子様)
例年、恒例行事として町内の夏祭りを実施していました。後は敬老会も行っていたのですが、平成23年度は自粛しました。平成24年からは、社会福祉協議会に復興支えあいセンターというものがあり、その主催で、八幡では私どもの町内におしゃべりサロン会を立ち上げました。主催者側が人と場所の支援を行い、毎月おしゃべりサロンを開催するといった内容です。
私と民生委員とで担当しているのですが、特に
高齢者の方から好評をいただく事が多く、一つの楽しみとして、皆が一カ月に一回の実施を心待ちにしてくれています。
平成26年度も実施する予定なのですが、
高齢者は体調差があるので激しい事は出来ず、ネタ探しが大変です。
今度は豆腐作りなどをやるようで、皆さん楽しみにしておられるらしく、やり甲斐があります。
内容によって変動はありますが、一回の実施に30名弱の方が参加しています。復興支えあいセンターは、最初は、仮設住宅付近で仮設住宅に入っている人を対象にしていたそうです。
しかし、在宅避難した人も多いため、震災以来、外出しなくなった方が増えたということで、話し相手がほしい方もいる中で、支えあいセンターが持って来たこの事業との地域のニーズが合い、私どもの町内会でやる事になりました。
防災訓練については平成25年11月4日に総合防災訓練があり、その一環として、町内会独自で計画した防災訓練をしました。
震災前の八幡では、八幡に5つある行政区が合同で訓練しており、それぞれの町内会独自で行う事はなかったのです。
事前アンケートや、当日参加者によるディスカッションなどを行い、意識向上の成果がありました。
(聞き手)
防災訓練には、震災前と比べて、人が多く集まりましたか。
(庄子様)
町内会の集まりというのは、大体顔ぶれは決まっていますが、私どもの町内会では50人が参加したので、集まった方だと思います。しかし、その時に350人を対象に、震災前と後の心の準備や物の準備の意識調査のアンケート用紙を配りましたが、回収率は37.1パーセントでした。しかし、130人分の回答でも重みがあり、今後に役立つと思います。
(聞き手)
八幡沖区は、どんな地区ですか。
(庄子様)
八幡沖区は、古くから住んでおられる方もたくさんいる地区です。年齢としては94歳を筆頭に77歳以上が75名います。寮などに若い人がいたとしても、住民というよりは一時的な居住であり、少子高齢化が進んでいるのが現状です。
大きな家に住んでいる方が多く、地震の揺れには耐えたのですが、津波の影響で1階が被害にあった家がほとんどでした。マンションでも、2階以上に水害はなくても、揺れの被害があり、同じくらい苦労したと思います。もし津波が無かったら、被害もぐっと抑えられた事でしょう。
(聞き手)
震災前には、どのような備えをしていたのでしょうか。
(庄子様)
地勢的な問題で、仙台港から直線で1.5キロくらいの範囲にも関わらず、日常の生活では、海が見えません。
また、昭和53年の宮城県沖地震の時や、チリ地震などにしても津波の影響は受けていませんので、津波に対する意識は薄かったです。
しかし、昭和61年8月5日の豪雨による水害で床上浸水したような地域で、その後にかさ上げをした家屋がたくさんありました。
平成6年には9月22日に集中豪雨があったのですが、それには耐えられましたので、8.5豪雨に対する反省や
教訓を活かせていたと思います。雨に対しては神経質なのですが、この前の津波には耐えられず、想定を超えた津波で対応する事も出来ませんでした。
しかし、スマトラ沖のニュースや画像を見て津波の威力を痛感していましたし、平成22年に起きたチリ地震の際には、仙台港で70センチくらい潮位が上がりました。その辺りから地球の気象条件もおかしくなってきているという意識はあったかもしれませんが、全般的には津波に対する認識はありませんでした。